水俣市トップへ

みなまたの民話「みんみん滝」

最終更新日:

 市の中心街、旭町四つ角から湯の鶴方面へ約四キロメートル、大窪の集落を過ぎて間もなく、右手に高くそびえる山の中腹あたりに、赤い岩肌を見せる切り立った断崖が遠望できる。水が流れているわけではないが、この岩を「みんみん滝」と呼び、継母にいじめられ逝った悲しい子どもの物語が伝えられている。
 まだ家の数軒もない山間の集落に、三郎という子どもが居た。母とは死に別れ、父が再婚した後妻とその連れ子の四人暮らしであったが、その継母の三郎に対する仕打ちは日に日に激しさを増していた。

 三郎の毎朝の日課は水汲みであった。今朝も汲んできた水が少ないと母が怒鳴りつけた。遠くの泉から汲んできた水は、途中の凹凸道で足をとられたときにこぼして、かなりの量が減っていた。わずか十一歳の三郎には、大人が担ぐ水桶は余りにも大きかったし、泉からの道のりは遠かった。にもかかわらず母は「見てんなこん子は、おるば馬鹿にしてたったこしこしか汲んで来んとじゃっで」と、夫に向かってなじるように言う。だがそんなことはいつものことで、三郎にはまだ我慢のできることであった。
 三郎は、今朝もいつものように食事の前に亡き母を偲んで仏壇に手を合わせていた。すると「三郎!!いつまでぐずぐずしとっとか。飯にゃ蠅ん止まっとるが・・・・・・。あん子はおるが言うこていっちょいっちょひねくれっ、おっ母さんの位牌に告げ口しおっとじゃろ、うんにゃ、おるが早よいっ死ぬごつ仏さんに祈っとっとじゃろ、面んきん憎かこん親不幸もんが」と言って、仏壇の前に来ると三郎の襟首を取って引き倒し、腰のあたりを嫌というほど蹴とばした。三郎がいくら弁解してもそんなことを聞き入れる母ではなかったので、三郎はただじいーっと唇を噛んで耐えるほかはなかった。母はそれでも飽き足らず、このことを夫に言いつけた。
 「こん子はほんなこて恐ろしか子ばい。おら、継母ち思わるごてなかばっかり、でくるしこんこたしてやっとっとに、ゆうすればするしこひねくれっ、おれむかっとじゃっで。今も仏さんの前、永う座っとるもんじゃっで行たっ見たらおれ聞こゆるごて『仏さん、いんちんおっ母さんな鬼じゃっで、早よ死なせっくれんな』ち頼みおっとばい。いくらわが子んでん、あげんこつ言わるれば腹ん立って仕様んなかがな。あんたも時にゃ怒ってくれんば」これを聞いて、日頃は優しく庇っていた父も、今日ばかりは激しく叱った。
 「三郎、わら、こげんよかおっ母さんにもがって、なしてそげん聞き分けんなかっか。おっ母さんが死ねごっち仏さんに詣っち何ちゅうこつか。そげん子はもうおるが子じゃなかで出て行け」いつもは陰になり日向になりして慰めてくれていた父から、こんなに強く怒られたのは初めてで、あまりの情なさに三郎の目からは大きな涙が一つ二つとこぼれた。

 食事が終わり、後片付けを済ませ茶碗を洗った三郎は炊事場にじいーっとしゃがみ込んだ。かまどに残っている火を見つめていると、その火がだんだん大きな炎になって燃え上がり、あっという間に自分の体を包み込んでしまった。苦しく息が止まりそうだ。だが動こうとしても動けない。その時、誰だか柔らかい手でじいーっと抱いてくれる人があった。ふり返ってみると、そこには死んだ母の慈愛に満ちた瞳が三郎をみつめていた。その手は優しく三郎の体を撫でていく。頭から肩へ、肩から胸へと。
 「おっ母さん」三郎は思わずその手にすがった。母はしっかと三郎を抱きしめてくれた。
 母の胸に抱かれて、三郎の胸からは今までの悲しみがすーっと消え、ほのぼのとした暖かい春のような夢心地に浸ることができた。しかし、それも僅かな時間でしかなかった。
 「こらっ、三郎、何んばへめへめしとっとか、今かる山、べら取り行くとじゃっで早ようったたんか」うしろから怒鳴る母の声に、ひとときの幸せに浸る三郎の夢は破られた。
 急いで支度すると母のうしろに従った。梅雨明けの強い太陽が焼きつくように照りつける。ろくに食事もできずやせ細った三郎の足には、夏草の生い茂った山道を母について登るのはきつかった。やっと山の中ほどに辿り着いた。そこは平らになっていて、大きな雑木林の中にはひと抱えもある松なども混っていて気味が悪いほど薄暗く、大きなかずらが大蛇のように木に巻きついていた。
 「ほら、こげな樫のよかべらんあっで、こん付近で取っぞ」母はそう言うと鉈でどんどんこだくり始めた。三郎はまだ鉈は使えないので、落ちている枝を拾い、手で折っては薪を作った。幼ない子どもの手では薪作りも思うにまかせない。見ると母はもうたくさんの枝を束ねている。三郎は、また「何ばへめへめしとっとか!!」と怒られはしないかと内心びくびくしていると、母は何を思ったか優しい声で、「三郎、もじょなげ手から血の出とるがね、わら、まだ小まんかで無理じゃもんね。もうよかで休んどれ、おっ母さんがまちっと取れば一荷でくっで、そるまで待っとれ」と言った。
 まだ大人の心の機微を読み取れない三郎は、人が変わったように優しく言う母を少しも疑わなかった。
 「今日は早よ済んだで、いっとき休んでいこい」薪を取り終わった母はそう言った。母は三郎の手を取って雑木林のはずれの方へ歩いた。そこは木立ちがきれて青空がぽっかり広がり、足もとは目もくらむような切り立った崖になっていた。遠くに川が流れ、その手前には田んぼが青々としていた。
 「三郎、まちっとこっちゃね来てんの、いんちの見ゆっで」三郎は恐る恐る前に出たが家は見えない。
 「おっ母さん、おれな見えんばい」「まちっと前さね来てんの、おっ母さんが掴まえとっで」母は怖がる三郎の手を取って引き寄せた。
 「おっ母さん、恐ろしかでもう見らんちよか、もう見ん、見ん」身をよじらせ後ずさりする三郎を、力いっぱい引き寄せた母は、そのまま押し出すように手を離した。
 小さな三郎の体は「見ーん、見ーん」の声を残して宙に舞い、途中の岩角にぶっつかりながら、血しぶきとともに落下していった。
 鬼のような形相をしていた継母は、ニヤッと薄笑いをすると薪はそのままに山を駆け下り、如何にも一大事出来とばかりに、「大事ばい、三郎が、三郎が」とわめき散らした。
 「どげんしたっかい。そげんすばとっ、三郎がどげんかしたっちや」三郎の父が家から飛び出してきた。
 「三郎が崖ん上からひっちゃけたったい。大事ひんなった。どげんなっと助けっくれんな」母は泣き崩れるようにして助けを求めた。それは世の名優も及ばない名演技であった。

 急を聞いて近所の人たちも集まってきて、母の案内で三郎が落ちたという崖の下を探したが、いくら探してもそれらしい姿は見つからなかった。みんなが狐につままれたように茫然としていると、突然、目の前の草むらから一匹の蝉が羽音高く飛び立ち、崖の頂き付近の松の木にとまると、「みーん、みーん、みーん」と、今まで間いたこともない声で鳴きだした。それはまるで人を恨むような、訴えるような悲しく哀調を帯びた鳴き声であった。
 その鳴き声を聞いた途端、母の顔面は蒼白となり、目尻を吊り上げ狂ったように跳び回りながら大声で、「あら三郎ばい、三郎ばい、ほんなこつ三郎が蝉になったっばい」とわめき出した。周囲の者が怪訝顔で「何ちや、三郎が蝉になったっち、どげん言うこつかい」と聞くと、「三郎は崖ん上で見―ん、見ーんち泣きおったっばおるが突き落てたったい。三郎おるが悪かった、堪忍してくれい。おるが鬼じゃった」と言って泣き崩れたと思うと「ハハァ、継子は死んだ。継子は死んだ。こるから楽たい。おらこるから楽のでくったい」と笑い転げた。
 村人たちは、発狂した母の姿を見て総てを悟った。
 「可哀想な三郎」、と父の頬には大きな涙が止めどなく流れた。
 村人たちも目をうるませ崖の上を見上げた。そこには先ほどの蝉が「みーん、みーん」と消え入るような余韻を残して鳴き続けていた。
 母は村人たちに抱きかかえられるようにしてわが家に帰ったが、程なく狂い死にしてしまった。
 それからは、いつも夏のころになると、この崖の付近一帯にはもの悲しい“みんみん蝉“の声が聞こえるようになり、岩を染めた赤い血は風雨にさらされながらも消えることなく染みついている。
 この崖を人呼んで“みんみん滝“と言い、またの名を“赤岩“ともいう。

水俣市史「民族・人物編」より


このページに関する
お問い合わせは
(ID:894)
水俣市役所
〒867-8555  熊本県水俣市陣内一丁目1番1号   電話番号:0966-63-11110966-63-1111   Fax:0966-62-0611  

[開庁時間] 午前8時30分~午後5時15分(土・日・祝日・年末年始を除く)

(法人番号 7000020432059)
Copyright (C) 2019 Minamata City. All Rights Reserved.