むかし、むかし、日当野ン村に嘉平という爺さんが住んどった。嘉平爺さんな縁側で孫ん守りばしながる日向ぼっこばしとった。
村ん真ん中にそびえとる大銀杏の木にゃ、カラスが二、三羽とまりガァガァ騒いどった。いつの間にか孫は縁側の暖かい日ざしにに気持ちよう眠ってしもうた静かな昼下がり、爺さんな何ば思いついたつか、眠っとる孫はうっちょいて、二の坂ン山こばば耕しに出かけらいた。すると大銀杏の木のとっぺんに止まっとるカラスの一羽が、杖どんついてトボトボ歩いて行く爺さんばみて、「カヒョー、カヒョー、クワは」と鳴いた。
嘉平爺さんな、ああ、そうじゃった、鍬ば忘れちゃ仕事ならんばい、と取りに戻らいた。鍬を担いで喉ばゼーゼー鳴らしながら登って行くと、今度は別なカラスが「カヒョー、カヒョー、トンコは」と鳴いた。嘉平爺さんは、ああ、そうそう、トンコは忘れとったばいと思い出し、取りに戻り、ふうふう言いながらまた登って行くと、「カヒョー、カヒョー、マゴは」と、また別なカラスが鳴いた。嘉平爺さんな、アラほんなこて、と大事な孫ばいっちょいてきたことば思い出し、大銀杏のてっぺんば見上げながら、しょしな顔して慌てて家に戻らした。
おかげで日半分、ニの坂ば登り下りして、畑仕事はできんじゃったげな。今でいう健忘症ちいうやつじゃったっじゃろたいなァ。
(注) トンコ……昔の刻み煙草入れ
しょしな顔……きまり悪げな顔。
水俣市史「民族・人物編」より