むかし、古里の田頭に狐岩ちゅう狐ン棲家があった。そこは周囲を木に囲まれとったが、朝日ン射し込む明るか岩場でそけにゃ八〇匹から多かときゃ一〇〇匹の狐が棲んどったそうじゃ。狐が全部集まったときゃ、ちょうど黄色か布ば地面に敷きつめとるごたった。
こん狐たちゃ昼間は岩場で昼寝ばしたり、子狐たちゃはらぐれしたりしとるぐうたらもんじゃったが、晩になると目の色ば変えて村里に下り、田畑の作物ば荒したり鷄ばおっとって食ったりして、村ん衆に悪かこつばつかりしとった。
一人の村人が、狐の悪さすっとば見るに見兼ねて、こん狐岩ば焼きこさいでしまおうち考え、煙で燻し殺すこてした。
男はまず、燻す材料の杉の葉ば中小場、大川内、寺床、越小場あたりまで採りに行ったげな、拾い集めた杉の葉ば狐岩んそばに山んごてこずみ上げた。
明けん朝早く狐岩に行ってみると、狐たちゃまだ寝とった。
男は「しめた!!」と思い、山んごてこずんだ杉の葉ば一把一把岩の回りにこ積みたて、「ざま見ろ」ち火ばつけた。
五時間も経つと、出頭はもちろん、上の方は中小場、大川内まで、下ん方は有木から久木野辺まで煙が一ぱい立ち込めた。村中があんまり煙たかもんじゃっで、焼くとば止めさしゅちしたばってん、男は頑として聞かんじゃったげな。
こんなことが七日七晩つづいて八日目の朝、ようやく火は消えたので、昼ごろ村ん衆たちが来て岩ん中ば見ると、親狐が子狐ば抱くごてして死んどった。
「まこてー、ぐらしかこつばしてしもうた」と呟くもんもおれば、泣き出すもんもおったげな。
煙で燻した男は、それから十日もせんうち死んでしもうた。村人は罰があたったといい、狐岩の近くにお稲荷さんば祀り、毎月揚げ豆腐などば供えて供養をしたそうじゃ。
その後の噂によれば、岩を燻したとき狐の一部は山奥に逃げ出し、そのなかの一部は人間に化けて水俣まで下り、船ば借りて乗りかえ乗りかえしながら中国に渡ったちゅう話じゃった。
(注) はらぐれ……戯れ合うこと。たわむれること。
焼きこさいで……焼き払って。
ぐらしか……可哀想か。
水俣市史「民族・人物編」より