水俣沖の民話に登場する狐狸族の中で、井川平のオサンジョは一番の知恵者といわれ、優秀な演技力をもっていたそうで、なかでも嫁入り道中の演出はことのほかの出色であったという。
井川平のオサンジョは、棲家の井川平を本拠に宇土山、上野の原あたりまでを勢力範囲としていたらしく、この地域ではオサンジョにまつわる話が数多く聞かれたようだが、今はそれを知る人も語る人も容易には見つからない。
大正時代から昭和の初めにかけて、この地区からチッソ水俣工場に勤務した人たちの中には、随分とオサンジョにからかわれた人も居たようで、特に三交替勤務者のなかに多かったようだ。前夜勤帰りに自宅に帰って寝た積りが中尾山の麓に寝ていたり、宇土山のてっぺんに寝ていたり、あるいは前夜勤帰りによか娘からぼた餅を貰い、うきうきとして持ち帰り新聞紙を開けてみたら馬糞だったというような話はいくらも聞かれた。
宇土陣のスグルワラは悪戯が好きで、農家が丹精こめて育て苦労して刈り取って、稲掛けに乾してある稲穂をスグリ取って回るのが得意で、村人たちはまたあ奴にやられたと悩まされることが多かった。スグルワラの名もここから生まれたものだろう。
オサンジョはその後、宇土陣のスグルワラと結婚したと言われ、そのときは一世一代の嫁入り行列を披露したという。このときばかりは、どこから持って来たのか本物の嫁入り道具を揃え、それを人間に化けた一族の狐どもに担がせていた。そして提灯を持った仲人役に案内された花嫁行列は、井川平から宇土陣に向かって南福寺の田んぼ道を粛々と進んで行ったといわれ、その見事な花嫁行列は誰もが見とれんばかりで、出会った村人たちは あまりの美しさに舌を巻いて眺めていたという。
水俣市史「民族・人物編」より