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みなまたの伝説「日当野の一夜城」

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 天正十五年( 一五八七) 豊臣秀吉は天下続一のため、薩摩の島津征伐を終えて悠々と帰途についた。
 往きは水俣を経て薩摩出水筋の表街道を通ったが、還りは薩摩大ロ筋の裏街道を、同年五月十八日、川内から平佐~山崎~鶴田~大□の曽木を経て五月二十七日酉の刻(午後六時ごろ) 日当野に着いて一泊の夜営を結んだ。
 この地を村人は「一夜城」と呼んでいる。(肥後国誌には「将軍山、秀吉公御陣営アリシヨリ地名トス」とある)
 場所は、旧大ロ筋往還の久木野から前坂を登り切った日当野集落の入口で、現在は日当野集落から古里有木に通ずる市道が、集落を抜け切る左上部の山腹に、一部分平らな所がある。この地に野営をして一夜を明かし、翌朝、秀吉が起きてみたらちょうど日の出で、朝日が輝き日当たりがよく何ともいえないすがすがしい朝であったので、この地を日当野と名づけたという言い伝えが残っている。
 二十八日ここを出発して久木野での猩々坂を越え、上木場を通過、途中、兵の士気を鼓舞するため湯浦の古石の岩間伏あたりで鹿狩りを催した。このとき獲物を隠れて待つための「まぶし」を、石を積んであっちこっちにこしらえたので、この地を石間伏と名づけたという。
 またここの一角に高さ一丈(約三メートル)ばかりの、上部が平らになっている幅六尺(約二メートル)、長さ二間(約三、六メートル)ほどの自然石が、中の段と下の段と分かれ、ベッドさながらの形をした「太閤岩」と呼ばれる大岩がる。これは鹿狩のとき秀吉がこの大岩の上のうえで休憩し、一夜を明かしたと語り伝えられている。

 

水俣市史「民族・人物編」より


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