江戸幕府のころ、薩摩の国は特に排他性が強く、当時幕府の隠密については異常なほどの警戒心をもっていた。
あるとき、関所の二人の役人が、かねて隠密の疑いで目をつけていた虚無僧姿の山法師を尾行していた。
役人は薩摩の小川内関所から約十三町( 約一、四キロメートル) 肥薩の国境に近い五女木という小村まで尾行してきた。この五女木には山村に似合わぬ稀な美人がいる…と近郷近在でも評判であった。追手の役人はあちこち探索するうち、例の美女とばったり出会った。役人たちもかねてからの顔見知りであったので、ひそかにこの美女に尋ねると「そのヤンボシどんなら、うち泊まっといやっど」といって懐から二分銀を出して「こん銭なヤンボシどんからもれもしたど……」と見せた。
役人は、法師が見るからに筋骨逞しい大男で、尋常な手段では討てないと見ていた。そこで一計を案じ、この美女を説得し、法師が寝しずまったころソーッと刀の目釘を抜いておくように頼みこんだ。
あくる日、山法師が美女の家を出たあとを、役人二人は相手に気付かれぬように尾行した。ちょうど肥薩国境を越え、丸石坂(無田) の下りにさしかかったところで追いつき、突如二人は同時に山法師目がけて切りかかった。法師は余程剣に自信があったのか軽くかわして、やおら仕込み杖の鞘を払い、大上段に振りかぶり、気合もろとも振り下ろした。途端に目釘を抜かれた刀は鍔元から抜け、サッと中天に飛んでいった。すかさず二人は切りこんでようやく法師をし止めることができた。
役人らはほっと一息つくと、わが手段の卑劣さを省みて自責の念にかられ、せめて遺体だけでも懇ろに葬ってやろうと、無由の桂池東方約三〇〇メートルの旧街道から約二〇メートルの道上に埋葬し、その上に大石を建てて弔ってやったという。ここを今も「ヤンボシ塚」といって、杉山の中に倒れかかった大石が遠い昔を物語るかのように建っている。
(注)以上の伝説のほかに、この「ヤンボシ」は二人組の強盗に襲われて殺されたという説もあるが、今ではその真相を知る手段もない。
水俣市史「民族・人物編」より