大川の川頭川と寺床川の合流地点に瞽女渕と呼んでいるところがある。この渕には、哀れな門付けの女にまつわる次のような話が語り継がれている。
ある暮れやすい秋の日の昼下がり、静かなこの山里に時ならぬ三味の音が聞こえてきた。見ると一人の男に手を引かれながら、家家の門から門を波り弾く、うら若い瞽女の撥の音であった。
どういう縁に結ばれた二人であったかは分からないが、手を引き引かれる仲睦まじそうな姿とは裏腹に、二人の間には心の底では激しい争いが秘められていた。男は、常日ごろから足手まといな盲目の女を捨て、儚い旅芸人のくらしから逃れようとその機会をうかがっていた。それとは知らぬ女は、よるべない盲目の身で、身も心も一筋に男の心にとりすがり、旅寝の一刻も油断なく男に逃げ出す機会を与えぬように、心の中では絶えず目に見えぬ嫉妬と激しい争いの中に不安な旅路を続けていた。日を重ねるうちに、男の心にはひと思いに女を殺そうと恐ろしい企みが頭をもたげるようになった。
ある日、男は「望みのない二人の将来を生き長らえて苦しい旅路を続けるより、いっそ、ひと思いにこの世を去り、あの世で二人の楽しい世界を求めようではないか」と、言葉巧みに心中話をもちかけた。女はいつになく優しい男の言葉に心うたれ、感激の涙の中に死出の旅路を選ぶことになった。
やがて二人は青黒く淀んだこの渕の大岩の上に立った。まず男が「では、俺が先に飛び込むが、あの世は必ず二人で幸せに…」というより早く、”ドボーン” と激しい水音があたりの静けさを被った。遅れてはならじと女も彼を追い飛びこんだ。瞽女の姿は再び水面に現れることはなかった。
しかし、最初に飛びこんだ水音は、男がいつの間にか用意した大石を投げこんだ音で、盲目の悲しさ、無情な男の計略にだまされて、哀れにも儚い夢を追って死んでいった。その後、この話を聞いた村人たちはこの渕を瞽女渕と呼ぶようになり、だまされて哀れな最後を遂げた女の冥福を祈ったという。
この瞽女渕も大正十二年の大洪水で旧街道が消失したことから、渕は埋まってしまい往年の碧色の深い渕は無くなり、さらにその後の河川工事によって当時の大岩も姿を消してしまった。
(注)瞽女=盲目の門付け三味線弾きの女
水俣市史「民族・人物編」より