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みなまたの伝説「松尾城」

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 久木野三城の一つといわれる松尾城跡は、大川字松尾の旧大川分校裏山の上部にある。頂上に登ればゆるやかな勾配の嶺があり、西側は大関山に連なっている。中世のころの戦国の世に、薩摩の島津と球磨の相良との戦いのときの出城ではなかったかといわれている。
 その昔、松尾城落城後、ある日村人が竹の子採りに城跡の山に登ったところ、元は武士だったらしい威厳のある白髪の老人に出会った。ところがその村人は家に帰りつくとすぐ高熱にうなされ、得体に知れない病に苦しんだという。これを聞いた対人たちは、落城の折の戦いで討ち死にした城兵の怨念の祟りだといって、それからは城跡に近づく者はいなかったと言い伝えが残っている。
 この松尾城の続く大関山系は、明治十年の西南戦争の折、水俣最後の戦いに薩軍が陣地構築をしたところで「ヤケイ」と呼んだ。( 当時の古文書には焼入とある) 。ヤケイの周囲には高さ四、五尺( 約一、五メートル) 幅四、五尺ぐらいの空壕りがいくつか残っている。銃撃戦に備えた塹壕の跡という。

水俣市史「民族・人物編」より


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