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みなまたの伝説「松木どん」

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 遠い昔の話、中小場の村の中程に小高い丘があり、そこに大きな松の木が数本生えていた。その木立ちの中に、いつのころからか草屋をむすび、世間を逃れて隠れ住む貴人らしい人と従者数人が住みついていた。
 そのころは久木野郷全体でも家は数えるほどしかない時代で、そんな淋しいところへ世をはばかって住みついた人は一体何者なのか。村人は誰言うとなく、平家の落人だろうと語り合っていた。直接たずねてもただ微笑むだけで確かな返事は返ってこなかった。おそらく、五家荘や椎葉地方に逃れた平家の一族で、細々と平家の血脈を守り、巡りくる季節を待っていたのかも知れない。着けている衣装や言葉づかい、それに立ち居振る舞いにも都人の香りが漂っていた。
 しかし、待てど暮らせどこの人たちには再び春は巡ってこなかった。雨露をしのぐだけの小屋住まいの生活は並み大抵の貧しさではなく、かつて栄華に奢った都の生活を思えば、なんとも惨めで、見守る人びとにも栄枯盛衰の無常をしみじみと感じさせた。
 貧しい生活に疲れ果てた松木の住人たちは、やがて一人減り二人死んだりして遂には主従二人だけになってしまったが、そのうち従者も倒れてしまい、それからというもの高貴な人は、自らも食を絶ってしまったらしく、村人が夜にたずねていき「食事はすみなはったか」と問いかければ、「はい、いま、すみました」と答えていたが、いっこうに炊事の煙りは見られなかった。それに村人が時折り届ける団子や果物も一切断って、瞑想にふける日々であったが、ある日、遂に帰らぬ人となってしまった。
 松の木の住人たちは、平家再興のための資金を沢山持っていたと、誰言うともなく村人の耳から耳へ伝わった。
 その後、その資金やこの小屋で見かけた立派な食器やツボなどの家財は一体どうなったのか、しばらくして村人は不思議な石を発見した。それは平たい石に「旭輝く夕日影さす石橋の下、しののめ一本、朱千ばい、大判小判千無量」と刻まれていた。
 村人は、これは松木の住人が財宝を埋めた目印を刻んだものと噂し、それらしいところを発掘する人が後を絶たなかったという。今でも土木工事などで掘り返されると、もしや宝物が出ないかと誰もが気をつけて見回しているが、まだ、見つかった話はない。
 松木の住人が住んでいたというところを「松木どん」と呼んでいる。十数年前までは松の大木や雑草がうっそうと繁っていたが、今では裸地になってしまい、その中心に墓らしい跡があり、近所の人たちが時折花や果物を供えている。

水俣市史「民族・人物編」より


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