昔、久木野城( 鶴之城や鶴平城ともいった) に、久木野四郎という城主がいたころの話である。
あるとき、鶴之城の城下で戦いが始まった。久木野四郎が名馬にまたがり軍兵を指揮していたとき、不意に敵の矢に見舞われ、無残にも馬もろとも足もとの渕へ転落して絶命、それからはその渕を「四郎渕」と呼んだ。( 久木野川の鶴平集落の真下にある) 。また同時に転落した馬は流されて四郎渕の次の渕に鞍だけが引っかかったといわれ、この渕を「鞍懸渕」と呼ぶようになったと伝えられている。
四郎の妻は、夫の安否を気にかけて尋ねていったが、夫の死を伝え聞いて悲しみにくれ、哀れ仁王木の山中で自害し主人の後を迫ったと伝えられている。
(注)この二つの渕は、昔は青々とした底知れぬ深渕であったが、長年月の時の流れに、洪水などの砂礫で埋まってしまい、いまは昔の面影はなくなってしまったが、四郎渕の南側水田の一角が一段高くなっている田の中ほどに、四郎の墓といわれる墓石が残っていた。現在では農耕の邪魔になるので、四郎渕の直ぐ上方の川土手に移転して物語の証として残っているのみである。
水俣市史「民族・人物編」より