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みなまたの民話「鬼の歯形石」

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 鹿児島県との県境、神川(かみのかわ)から袋、月浦(つきのうら)、坂口を経て侍(さむらい)の集落を過ぎると、広々とした畑地が広がる。昔は御内家畑と言われた枦山で、枦の木の下を利用して畑作が行われてきた。俗にいう侍台地で、薩摩の殿様が参勤交代の際に通ったという薩摩街道がこの侍台地を横断し、陣の坂へと下っている。西南戦争のとき、西郷軍が大砲の牽引に苦労した難所だったが、その道筋に「峠の地蔵」が鎮座されている。

 昔、新地山( 現在の山手町の裏山) に鬼の一族が住んでいた。岩を並べたり、重ねたり、あるいは洞穴を掘ったりして大きな岩屋に住んでいたが、だんだん家族が増えて窮屈になってきた。鬼たちは、ある晩に寄っていろいろ相談した結果、岩屋を増築することになった。そこで主だった鬼たち数人が、峠の地蔵さんに建て増しの許可をお願いに行った。

 「地蔵さん、おっどが家ん窮屈になったで、ちいっとばかる建て増しばしゅうと思いますがよかでっしゅか」これを聞いた地蔵さんは、これは困ったもんだ。鬼どんが増えて住むとこんの狭(せ)もなれば何処さねかはってくじゃろと思っとったが、建て増しば認むれば鬼どんなどんどん増ゆっとじゃが、こらぁ何とか条件ば付けんばいかんばいと考えた。そこで地蔵さんは「お前どんな悪さばっかるして評判のゆうなかで、なんもかんも言うごて認めるにはいかんとたい。そっで明日ん朝、一番鶏の鳴くまでに造りあぐんなら許そうたい。そるばってんかそるまで出来上がらんときゃ認めんことにするがよかかい。」と条件付きで認めることにした。

 鬼たちは、日が暮れるのを待って岩屋造りにとりかかった。しかし新地山の岩は硬くて細工がしにくいので、天草島の軟らかい石を掘り出しては投げ、掘り出しては投げして死に物狂いで作業を進めたが、まだ夜が明けないうちに一番鶏の鳴く声が東の方から聞こえてきた。夜明けまではまだ時間があるから出来上がるだろうと思っていた鬼たちはびっくり仰天、それでも地蔵さんの「作業止めー」のひと声に、不承不承ながらも作業を中止して引き上げた。

 そのとき、鬼の一人が切歯扼腕(せっしやくわん)、腹立ちまぎれに、地蔵さんの近くにあった岩に思いっきり噛みついた。その石は「鬼の歯形石」と言われて、今も陣の坂に残っている。

 それからのちは、鬼たちが村人に悪さをしようとすると必ず鶏が鳴き、鬼たちはその声を嫌って岩屋に逃げ帰り、村人たちは平穏な日々を送れるようになったという。

 村人たちは鶏にお礼をしようと、ある日の朝、鶏の鳴き声を頼りに探して行くと、それは秋葉山の頂上にある大岩から聞こえていたので、この大岩を“ 鶏石“ と呼ぶようになったということである。


水俣市史「民族・人物編」より


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