来館者の方々からいただいた語り部さんへの手紙の一部を掲載しております。
※原文のまま掲載しています。
生まれた時には胎児性水俣病で沢山の苦労をしてこられた事をお話されました。私はそのような苦労をされてこられたと聞いたとき、ここにいるみんなに自分の苦労を話せる事がすごいと思いました。わたしだったら思い出したくないと思うしそんな勇気などないと思いました。
2つ目は、今、前向きでいらっしゃる事です。
沢山の苦労をされてきた中で毎日リハビリをしたり「ほっとはうす」というところにお仕事に行かれたり何事にも前向き」で、私は、辛いことがあっても前向きに頑張ろうと思う事ができました。私は、10月に文化祭で劇をします。「水俣病」をテーマにした劇で、私は、胎児性の水俣病の女の子の役をします。たった1つのセリフですが永本さんのお話を聞いて永本さんの思いを全校児童に伝えていきたいです。
そして、日々の生活でおもいやりを大切にし前向きな人でいられるよう努力したいです。先日は本当に有り難うございました。
水俣病の勉強にもなったし、自分を振り返ることができました。
氷川中学校
◇私は講話の中でご主人が水俣病にかかって一生懸命看病してもだめだったというのが心にひっかかりました。
私だったらもう人間として生きる希望やそのことすら失ってしまうと思います。
でも上野さんはご主人をうしなっても生きる希望を捨てず差別されてもがんばっているので涙があふれ出てきました。
私は自分の生活の平和というものはこの水俣病の尊い犠牲のうえに成り立っているのかなと思います。私はこれからの生活でこの講話を、そして上野さんの強い心を、差別されたり生きる希望をなくしている人たちに、救いの手として生きる希望としてさしのべていけたらなと思います。
最後に、一つ私も上野さんみたいに水俣で起こった悲劇を2度と繰り返さぬように、これからのみらいの人にこの悲劇を伝えていけるように私もがんばります。本当にお忙しい時間をつくって私たちに講話をしていただきありがとうございました。これからも一緒にがんばりましょう。
鏡小学校 5年生
◇ぼくが心に残ったことは、杉本さんのおばあさんが足に、包丁が刺さっても痛みを感じないと言うのがこわく感じました。
杉本さんの最後の言葉で、「水俣病がこわいのじゃなくて、いじめがこわい」と言ったので、絶対にいじめや差別をしてはいけないと思いました。
一勝地小学校 5年生
◇私が心に残ったのは2つあります。一つめはネコ実験です。ネコ実験とは水俣市でとれた貝や魚を食べさせることでした。
なぜそんなことをしたかは、水俣病の原因が何かを調べるためでした。かわいそうだ思いましたが、これをしないと原因がわからなかったかもしれません。二つめは胎児性水俣病のことです。水俣病にかかって生まれてきて、家族の人はとても悲しい思いをしたかもしれません。私は水俣病はもう起こしていけない病気だと思いました。
そして、自然を大切にしていきたいです。そのためには、ゴミを捨てない、リサイクルなどをしていきたいです。
多良木小学校 5年生
◇私は資料館を見学して水俣病の人は1日1日を一生懸命いきているんだな思いました。
始め水俣病にかかったら「手足のしびれ」「体のふるえ」とかもいろいろなしょうじょうがでるんだなとはじめて知りました。
これから生かしたいことは川や海をよごさないことです。それと水俣病にかかった人の力にすこしでもなれたらいいなとおもいます