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みなまたの伝説「久木野城」

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 久木野城は、久木野鶴平集落にあって、古くは鶴の城とも鶴平城とも呼ばれ、大関山に源を発する桜川と、久木野川の合流点に位置する山陵の頂上部分にあった。
 この久木野城に馬術の名人がいた。戦いのとき、敵の弓矢が飛び交うなかを、愛馬の横腹にぴったりへばりついて矢を避け戦場を駆け巡ったという。
 神業に近いその腕前に、恐れをなした城主は「このような者を生かしておけば、将来どんなことを仕出かすか分からん」といって部下に命じて殺してしまった。
 地獄谷を流れる桜川の川縁にこの名人の苔むした墓石が今も残っている。また、この城跡の東側四〇〇メートルの山の中腹に、昔から湧水があって、村人はそこを「風呂元」と呼んでいる。
 長い長い戦国の世に、球磨の相良勢と、薩摩の大口、山野、菱刈などの軍勢の間で激しい攻防戦が繰り返されていたころ、城兵たちが戦いの合間に戦塵の垢をこの風呂元で落としたという。( 相対時する中尾城( 亀の城…有木地区) にも流れ矢橋近くの川端に、城兵が湯浴みしたという風呂元の地名が残されている。 )
 久木野城跡の東側下方に「泣く子山」と呼ばれているところがある。そこから夜な夜な赤子の泣く声が聞こえたと言い伝えもあるが、この城との関係があるのかどうか、そのわけは分からない。
 (注)久木野城は、鶴平城の外に岩群城、岩峰城とも呼ばれた。

水俣市史「民族・人物編」より


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