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みなまたの民話「時鳥の話」

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 昔から水俣辺りでは、時鳥の鳴き声を「タンタンタケジョオトトワケサボ……」と言ったが、その由来について親たちは、次のような話を寝物語にしてくれた。
 むかし、あるところに丈丞と袈裟坊という二人の兄弟が暮らしていた。兄の丈丞は子どものころから目が見えず、弟の世話になりながら暮らしていたが、目が見えないためか非常に僻み根性が強く「俺にゃ粟や稗んホラばっかり食わせっ、自分な旨か米ん飯ば食いよっとじゃろう」と、いつも弟の袈裟坊を恨んでいた。
 ある年のことであった。大飢饉で米や麦、粟など全く穫れず、袈裟坊は兄を養うために山に行き、山芋や木の実を取って必死の思いで兄に食べさせていた。心の優しい兄想いの袈裟坊は、兄には山芋の根っ子の美味しいところや、木の実を食べさせ、自分は灰汁の強い山芋の首のところや木の皮をかじり、トカゲまで食べて飢えを凌いでいた。
 袈裟坊は、そうした食い物で次第に身体は痩せ細り、腹だけが膨れてとうとう栄養失調で寝込んでしまった。弟が寝込んでしまっていることに気付いた兄の丈丞は「俺にゃいみしか物ばっかり食わせっ、我がは旨か物ばっかり食うて肥え過ぎっ動けんとじゃろう」と感違いして腹を立て、手探りで包丁を探し出し、寝ている袈裟坊の膨れた腹を「エイッ」とひと刺しで殺してしまった。
 すると袈裟坊の腹から出てきた物は、木の皮や木の根に混じってトカゲなどであった。それを手探りで知った兄の丈丞は、びっくりして「俺が悪かった。許してくれい。袈裟坊、お前はこげん物ば食って、俺がため食い物ば探してくれとったっか。誠済まんじゃった」と袈裟坊の遺体にすがりついて泣いた。
 それから何日も袈裟坊の遺体の側で泣き続けた丈丞は、「こげん兄思いじゃったお前ば殺してしもっ済まんじゃった。許してくれい。俺も袈裟坊、汝が側に行くで」と、自分も包丁を喉に突き刺して死んでしまった。
 ところが、その瞬間に丈丞の体は一羽の鳥となって、初夏の森の中に飛んで行った。そして「タンタン、タケジョ、オトトハケサボ。ホンゾンカケタカ、ホンゾントゲタカ、オトトハ、ケサボ」と蹄いたそうな、それが時鳥であるという。丈丞の化身である時鳥は、弟の袈裟坊に申し訳なかったという詫びる気持ちから、トカゲを獲って食べながら、初夏の若葉が萌える山から山へと、一日に八千八遍、悲しみを込めて血を吐く思いで蹄き続けているそうな。
 この民話は、昔から一般的に水俣の人たちの中で語り伝えられてきた、ホトトギスにまつわる物語である。
 (注) 「タケジョ」と「ケサボ」は人名であるので、文中では「丈丞」、「袈裟坊」の漢字を当てた。

 
水俣市史「民族・人物編」より


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