中小場集落の西のはずれに石の地頭さんが祭ってある。地頭さんと呼んでいるのは、ただ単に地蔵菩薩のことだけではなく、この付近一帯の地名といった方が適切と思われる。
この地頭さん一帯は、昔も今も古狸が人を化かすといって村人たちが怖がっているところで、数々の面白い話が語りつがれている。
大川の柳平に、佐藤源之十という士分の人がいた( 佐藤武熊氏の四代ぐらい前の祖) 。当時久木野の手永会所( 役所) が現在の小学校校庭にあった。佐藤源之十も他の士分の人びととこの会所に毎日一里余り( 五キロメートル程度) の道を歩いて出仕していた。その往復の道は幅一メートルぐらいで、上ったり下ったりの曲がりくねった小道で、当時はおそらく民家もわずかしかなかったし、特に田頭と中小場の間は現在でもそうであるが人家は全くなかった。
源之十の会所からの帰りは遅く暗くなる日が多かった、夜更けの山道は誰しも気が小さくなるもので、大小を腰にした源之十も決して気持ちのよいものではなかった。
ある日、彼は腰が抜けるような出来事に出会った。いつものように夜中に近い時刻、ほろ酔い気分でこの小道を帰っていると、月明かりの中に前方で多くの人びとがたむろしているのが見えた。何事だろうかと静かに近づいて見ると、一人の若い女の死体を老婆やおかみさん風の女四、五人がお湯を使ってふいていた。葬式の時の湯潅の儀式である。その周囲には女、子供が目を赤くしてすすり泣いていた。やがておこぞり( 髪を剃ること) が済み静かに棺に納めると、すすり泣きが一段と高まり、儀式の列が動き出した。源之十は何気なくその死人の顔を見ると、自分の娘にそっくりだったので、何とも言えない気持ちになって、目を閉じ合掌し「ナムアミダブツ」と唱えた。そして静かに目を開けると目の前の葬式の列かき消えて、枯れ草の中に呆然と立ちつくす我が身の周りには、冷たい夜霧が流れていた。
冷水を浴びたような身震いを覚え、我に返った源之十はしばし立ちすくんだまま動くことができなかった。
源之十はこの不思議な出来事にあってから、身を清め一心に地蔵さんを刻んでこの地に安置した。それが今も道端に鎮座されている地頭さんだと伝えられている。佐藤源之十の願いがこもったこの地蔵さんは、今も風雪に耐え道行く人々に安心を与え、慈愛の眼を注いでおられる。地域の人たちは時々思い出してはこの村はずれの地頭さんにお供え物をして拝んでいる。
水俣市史「民族・人物編」より